自律したこどもを育てるために
こんにちは
色彩知育アカデミーの うしおだしほです。
昔、私の通っていた高校の校訓は、
自主自律でした。
公立の学校だったのですが、
比較的ゆるく、選んだ理由は、
自転車でいける距離
体育で夏でもジャージ着たままでいい。
水泳がない。
校則がゆるすぎ
そんな理由。
その理由は、もうはるか昔で、
こどもながらに先生から聞いたから、
真意は、定かではないけれど、
水泳は、サボる生徒が多いくらいなら、
なくて良いと。
その代わりに小さなトレーニングルームを
建てたという噂
夏のジャージの着用も然り。
脱ぎたくない生徒がいるなら、
脱がなくていいと。
着脱の自由を認めてたり。
当時のわたしは、
その水泳がない!ジャージでいい
校則がゆるい
それだけで選んだようなもの。
でも、正直、全部、自由は不安なんです。
おなじように
お母さんも不安です・・よね?
自由にさせていいのかな?
どこまでを自由にしたらいいのか?
自由の定義の問い合わせが
非常に多いのが印象です。
どこまで自由にさせていればいいのか?
わたしは、
昨日、
我が子に色彩知育のホームクラスをしていました。
言ってみれば、
ただの、家で行う製作時間です。
でも、決定的に違うことがあります。
それは、
「色」というテーマの枠があるということ。
「私」母と先生の中間の立ち位置で、
ずっとエネルギーのベクトルをずっと注いで見ててくれる存在。
ホームクラスなので、
こどもが制作中に、
私は家事もしないし、スマホに没頭することもないです。
教室と同じように、トイレすら行きません。
その1時間、2時間、
まっすぐこどもに向かってるんです。
こどもは、その中で、
自由に色に特化した製作をし続ける
その 打ち込むエネルギーは
いつものお絵かきや製作なんかより、すごいです。
真剣な眼差しです。
この眼差しを知ってるだけでも、
勉強しているときに、
没頭しているか、してないかもすぐわかります。
色彩知育のレッスンと同じ目をしているなら、
勉強を心から楽しめてると感じます。
つまり、なにが言いたいかっていうと、
自由を 好きなようにを
ただ、提供するだけでは足らないということです。
それを見守る覚悟が大人にも必要ということです。
小学生であれ、
幼児の頃のように
怪我の危険がないように見守る必要がなくてもです。
ただ、言葉の分量、掛け方が
とても重要になりますけど。
それで、いつまでもしっかりしないと
イライラするのは、本当に間違ってるって、
思います。
自由と安心感はワンセット
わたしはそう思っています。
大人が提供する環境
それは、
こどもが安心して、
羽をのびのびと伸ばせる環境づくりななのではないかな
そう思います。
その環境を、
自由に表現していい「色彩」と
安心感が手渡せる「言葉がけ」でつくり出していきたい
それが、わたしの願いです。
0コメント